「精神保健福祉業務に携わって半世紀」

■卒業生のプロフィール
卒業年(西暦) 1971年 年
学部 社会学部
氏名 荒田 稔
旧姓
略歴  卒業後、現在の埼玉県さいたま市にある「やどかりの里」で精神障害者の社会復帰(病院から地域)の為の中間の精神保健福祉の仕事につきました。精神障害者の治療に生活のしづらさの支援(福祉)が必要であることを24時間の共同生活をとおして発表し、多くの賛同を募り日本で最初の社団法人として設立。故人の明治学院大学の岩本正次教授と谷中輝雄先輩の両名(現在の精神保健福祉士の先人)と学院卒業生が中心となって運営された団体でした。公益社団法人日本精神神経学会のHPに百年史写真館の「歩み9:戦後(昭和)の民間における精神保健運動の動向」にその名が掲載されています。
コメント  在学中の思い出は、学内で石川県人会を水野さん、酒井さん等と立ち上げ、金沢大学より移られた法学部の中川高男教授(故人)に顧問をお願いして時々コンパを開催し、郷土を身近に感じていたことです。
■基本情報
名称 「精神保健福祉業務に携わって半世紀」
職業・業種 社会福祉
所在地 〒〒923-1111
石川県能美市泉台町中202
連絡先
URL
■インタビュー
◆現在の仕事
社会福祉法人「なごみの郷」理事長
粟津神経サナトリウム福祉系統括部長
NPO法人「えんがわ」理事
◆これまでの経緯
 精神障害者の社会復帰活動が遅れている県と言われていた1986年10月、石川県小松保健所(現在の石川県南加賀保健福祉センター)に精神衛生相談員の県内第一号として採用され、その後石川県精神衛生センター(現在の石川県こころの健康センター)に勤務し、公衆衛生の立場からの精神保健福祉の仕事でした。  認知症対策、社会復帰対策(精神保健福祉相談、組織育成、施設づくり)、自殺予防対策、災害時こころのケア対策(能登半島、東日本、北信越、阪神)等の領域の多くを経験しました。退職するころは、遅れている県と言われることはありませんでした。
◆今後の夢
 今後の夢は、校歌の「・・・霄あらば霄を窮めむ 壌あらば壌にも活きむ ああ行けたたかへ 雄雄志かれ 眼さめよ起てよ 畏るるなかれ」の歌詞を志として地域精神保健福祉に取り組んで歩んでいければ幸せだとおもっています。
■フォトギャラリー