2世紀にわたる学生時代

私が明治学院に入学したのは1999年、20世紀最後の年でした。叔父が明治学院の卒業生で、良い大学だと勧められて明治学院を志望しました。学生生活を思い出す前に、面接の思い出が蘇ってきます。

私は推薦入学だったので試験は面接でした。田舎(秋田)から上京し、面接の前日に白金キャンパスを見に行きました。チャペルや先輩方を見て、とてもワクワクした気持ちになったものです。
さて、試験当日、面接官の先生から「明治学院大学について、どういう印象をお持ちですか?」と聞かれて、「異国情緒があって素晴らしいと思います」と答えて、先生方の笑いを誘いました。当時はうまく答えられたと思っていましたが、今、考えてみると「恥ずかしい!」。しかも、こうやって文章にすると尚更恥ずかしいですね…。でもなぜか人って恥ずかしいと言いながら、過去の失敗を話してしまうものでしょ。

効果があったかどうか疑わしいですが無事に合格する事ができ、大学生活が始まると、早速サークル選びです。高校時代は弓道部に所属していたので、弓道を続けようかと迷っていました。でもなんとなく大学に入ったら、チアをやりたいと思っていたので、バトントゥワラー部(2009年にチアリーデイング部に改名)の先輩からお声をかけて戴いた時には、二つ返事で「入部します」と即決です。その決断が、今も自分と大学を結ぶ事になるとは夢にも思いませんでした。
チアをやりたいと思って入部したのですが、応援団としての慣例や厳しい規則にびっくりしつつ、何か行事の度に覚える事がたくさんありました。応援団で過ごした4年間はとても濃密で、とても速くて、とても一生けん命でした。

私は1999年度生だったので、当時は、来る21世紀に向けて世の中がざわついていました。いわゆる2000年問題とかミレニアム問題です。大学も色々と変化の時でした。2000年度生から学籍番号の表記が変わったり、白金パレットゾーンが完成し、新しいサークル棟がオープンしました。旧サークル棟と新しいサークル棟の両方を使ったのは私達の時代だけで、おいしい世代だったのだなあと気づきました。

卒業の年は、3月に白金開発事業の完工式があったり、ヘボン塾の開塾140年を迎えた記念すべき年でした。今はチアリーディング部の監督と応援団OB会の役員を務めています。卒業後も学校を訪れる機会が割と多くあり、自分が思っていた以上に大学と関わりがあります。卒業してさよならというより、むしろ近づいた感じがします。スープの冷めない距離という様な(笑い)
                             伊藤まどか(2003年 社会学部卒)

2002年の白金祭。当時は野外ステージが設営されていました。

アメリカンフットボール部の応援。コスチュームは、校旗で使われているスカーレット(緋色)を基調にしています。チアリーディング部のチーム名は『スカーレッツ』です。