MESA(明治学院英語研究会)に入部して

1969年英文科に入学。          

福岡の高校にいる時、英語に興味があり、特にコミュニケーションとしての英語を学びたいと思っていました。英会話学校にいくのもお金がかかるので、英語圏の人と友だちになろうと考えていました。その当時、福岡にはアメリカのベースキャンプがあり、デパートに遊びに来ている外人をよく見かけたことがありました。休みの日にデパートに行き、屋上にいた外人に勇気を出して初めてこちらから英語で話しかけたら、喜んで話をしてくれました。何とか通じ、後日その方の家に遊びに行く約束をとり、訪問することができました。このことがきっかけでもっと上手く喋りたい、異文化との交流を深めたいとの思いで大学のMESAに入部しました。

新入部員だけで120名くらい。6グループに分けてF(FRESHMAN)A,B,C,D,E,F

各グループ20名くらいで、私はFFに配属になりました。活動はグループ単位で、毎日昼時12:00~13:00NOON  ACTIVITYと称してラジオ英会話(松本亨先生明学教授1949-1960)のスキットを暗記して皆の前で寸劇風に発表するという形式で、その当時横浜に住んでいたので、電車の中や品川から学校まで歩いて、声を出して覚えたものでした。 学園紛争が激しくなり、授業が中止になり教室が使用できなくなったので、仕方なく隣の八芳園で活動をしたこともありました。

1年生全体での最初の活動が暗唱大会でした。エイブラハム・リンカーンの「THE GETTYSBURG ADDRESS」人民の人民による人民のための政治というフレーズで有名な「ゲティスバーグ演説」です。全部暗記しての大会で、先輩に発音、表現、言い回しなどをチェックしてもらい、毎日聴きなれない文章の暗記や、グループ内での発表、一生懸命練習したおかげで見事準優勝することができました。

その後夏合宿が野尻湖でおこなわれ、「日本語禁止 喋ると罰金10円」。初めは日本語連発でしたが、後半は支払わずに済みました。一番大変なのがディベートでした。日本語でも難しいのに英語で議論をするのが大変で、よくわからない状態で終わっていたというのが現状でした。

ドラマのオーデションがあるというので、参加し見事合格することができました。「ああ荒野」ユージン・オニール「AH WIDERNESS」EUGENE O’NEIL、主人公の兄、ミラー家の長男の役でした。「古き良き時代、アメリカの典型的な市民生活、7月4日の独立記念日の朝から翌日の夜までの2日間の物語、ナット・ミラー家の居間から始まる」という内容でした。

秋口の講演まで毎日柔軟体操,発声練習、役柄のチェック、通し稽古と夏休み返上でやっていました。学園紛争の影響がMESAにも起こり当時の2年生から問題提議がなされ、すべての活動が停滞する事態に陥りました。ドラマの参加者からもこのような状況(機動隊が入ってくる可能性、学内での紛争等)で我関せずでいいのか?学内の問題に目を向けなければいけないのではないかとの意見があり、練習もできないようになりました。

結果として、秋口の公演も中止となり入部1年未満でMESA解散となり、納得のいかない終わりになりました。まだまだ書き足らない部分はたくさんあるのですが、紙面の都合上終わりにします。

最後に、入部当時の仲間たちが卒業して44年たった今でも、毎年同窓会と称して集まって親交を深めています。

MESA、明学ありがとう。

                1973年英文科卒業 山本 正信

野尻湖にて

ホープカレッジ見送り

グリーンホール前 立て看板が学園紛争の象徴