首都、東京の大学で、何かをつかみたいと思っていた私。

明治学院大学、伝統あるミッション系の大学であり、チャペル、インブリー館、記念館等の歴史ある建築物が、落ち着いた雰囲気を醸し出しており、時代の変化を超えて存在していることに強く惹かれました。インターネットが普及する前の1993年の受験パンフレットが、私と明治学院大学の出会いです。

1998年に卒業して、いつの間に22年が経ち、45歳となりました。卒業して数年の間は、40代はだいぶん先だと思っていたのに、いざ自分がなってみると、あっという間です。

この20年余りの社会人生活にとって、明治学院大学での4年間は、私の核(コア)であり、かけがえのない体験です。

画一的な価値観、環境を息苦しく感じていて、早く自分の興味あることに没頭し、潜在力を爆発させたいと思っていた高校時代。

そんな自分を、はばたかせてくれたのは明治学院大学だったからこそだと思います。

街づくりが好きで、図書館で都市計画や建築に関する本を読み、戸塚駅西口再開発を卒論テーマにしたこと。教えられるのではなく、自ら悩み考え、答えを導き出すことが社会であり、人生であると気付かせて頂いた常岡孝好先生(現、学習院大学法学部教授)の卒論指導。

カメラ会社、自動車会社など6社の購買部門で材料調達業務、海外調達業務に携わってきましたが、自分の知らない分野であっても、自ら考え、決断していく強さを自分自身に宿せたと感じます。高校では数学など理系科目が苦手でしたが、今では、技術者に間違われることもあるほど、色々な分野に積極的に携わっています。

学問だけでなく、友人も大切な財産です。入学してから25年も経つのに今でも交流のある友人達。学生時代は、お互いに粋がって張り合ったりしたのは、今では笑い話ですが、お互いの性格、気持ちを知るからこそ、分ってくれたり、勇気をもらったり、与えられる関係になれるのではないかと思います。

人生100年時代とも言われる今日この頃。まだまだ、私の青春時代は止まりません!

ずっと学び続け、友と成長し続ける関係でいたいと思います。

それこそが、明治学院大学の同窓の輪になっていくのでしょう。

1994年度生 法学部法律学科 岩本涼太郎

中国出張時の写真


学生時代の親友と行った高山でのひとコマ