同窓会の夜明け

大学同窓会夜明け前

明治学院同窓会長 伊東 慶彦

設立百周年を迎えようとする明治学院同窓会は多くの問題を抱えていました。年会費納入者減少、終身会員制の導入、コンピュータの導入、他校(私立15大学)校友会組織との同調、個人情報保護法、そして会則第11条(各校に同窓会を組織し)を規約化して生じた問題、それらの中で事務局は住所判明者約5万人から9万人を超えようと努力しているところでした。「明治学院大学同窓会」は会則第11条があって誕生したものです。それまで全学校を一つにして「明治学院同窓会」でしたが、近年大学が大きくなったことから「大学指向」を懸念する声が高まり、中学・高等学校同窓会の設立が要望されるようになりました。早くも「白金会(白金の中・高卒業生)」が誕生し、遅れて「会則第11条」が制定され「明治学院中学・東村山高等学校同窓会」が設立、「明治学院同窓会」の傘下に入りました。「明治学院大学同窓会」も同様の趣旨で2005年に設立したものです。
白金も東村山も自発的誕生ですが「明治学院大学同窓会」の設立は本部が働きかけなければならずそこにはオーソライズされた形式が要求されたのは当然です。先ず、271回理事会において「同窓会設立に向けた発起人を募ること」を決めました。(以下のような流れです)
2004・5・22 評議会にて「大学同窓会設立発起人会開催」を発表
2004.5.29 大学同窓会設立発起人会を開催
2004.8.20 発起人代表より全発起人へ「発起人名簿」「会則案」を発送
2004.10.30 評議員会にて「大学同窓会設立」が提案され承認される
その時私の会長任期は残り5ヶ月で、年が明けて3月に会長を退任。4月から星新会長が就任と同時に「大学同窓会設立準備委員会」を組織しその代表として任命されました。あとは2005.9.17に設立することを目標に準備を急ぎました。そして一切を「設立総会」で決定すること、設立を以って「大学同窓会設立準備委員会」は解散としました。 先ず中村会長が選出され、会長挨拶では目的に「現役支援」がうたわれ、運営役員が集まって穏やかにスタートしたことは「夜明け」として大変満足を感じました。


夜明け前その後

大学同窓会長 中村 邦彦

大学同窓会設立に関しては、元同窓会会長伊東氏、元副会長吉田氏はじめ多くの方が努力された中、役員選考委員会で、私が図らずも初代会長を仰せつかり、2005年9月に150名ほどの卒業生の出席を得て、副会長2名、監事2名、運営委員10名の体制で発足しました。会則は、吉田氏らの努力で出来上がっていましたが、新しい大学同窓会の理念・運営のための「道標」程度で、最初から大上段に構えることなく、走りながら細則、その他のルールを決めていく、フレキシビリティを持たせたものでした。 大学同窓会は、4月から第2期の新体制となり、同窓生の集まる会の情報収集に努めるとともに、従来同窓会本部の出席が難しかった、クラブ・ゼミ・職域・同期・文連・愛好会などのOB会(多くは白金会と称されています)の総会や周年の集いに積極的に参加し、大学同窓会の現状や取り組みをご案内し、情報交換・伝達・懇親などに取り組んでまいりました。
ご要請を受けて、大学同窓会の代表が出席させていただいた先は、ラグビー部OB会・不動産白金会・ソフトテニス部OB会・合気道部白金会・ホテル白金会・二本榎マンドリン合奏団・東急白金会・応援団OB会となりました。 執行部は、留任、運営委員を5名増やし20名体制となりました。そのうち9名が新メンバーになり、一層の活性化を図りながら次の方針で臨みます。
クラブ・ゼミ・職域・同期などの集まりの実態把握を深め、大学同窓会に期待される支援を行う。
大学同窓会のホームページを立ち上げ、広報活動を一層充実させる。
役学生との交流については新たにサークルにも広げ現役学生のOBに対する要望・期待などをキメ細かく把握し、対策を検討する。
新明治学院大学学長との交誼を通じて、大学同窓会に寄せられる期待を把握し、協力・共栄を図る。
大学校友センターとは定期的な会合を持ち、お互いの立場を認識し、情報発信に協力する。
大学同窓会組織を見直し、必要に応じて実行委員会に運営委員以外の同窓生委員を編入し、実効を挙げる。


夜明け

大学同窓会初代事務局長 吉田威一郎

ある春の日、伊東先輩からの突然の電話で、「大学同窓会設立の準備が整った。今後は会則を作り、秋の設立総会に間に合わせたい。ついては、会則検討委員長を受けて欲しい」との命が下った。
それ以来、同窓会本部の幹部の方々や委員を委嘱された方々と大学・大学院同窓生だけを対象にする同窓会に相応しい会則を作ることが課せられ、初めてお会いする先輩・後輩が席を同じくし、暑い夏を通して数回の会議を実施した。ほぼみんなの合意が出来たころ、検討委員会は役員選考委員会に色を塗り替えられ、猪俣委員長の指揮の下で会長以下全役員の選考に突入した。
会長候補には、同窓会本部の理事などの経験はないが、新しい同窓会に相応しい新鮮さを発揮頂けることに焦点を当て、大学OBでは唯一のオリンピックに出場され、「ジャパン」の監督経験もある、委員のお一人であった中村邦彦氏に就任を切望し快諾を得て、何とかトップが決定、本部理事経験者や各委員に推薦された方々に運営委員をお願いし、ようやくスタートできる体制が整い、2005年9月、多くの協力者にお集まり頂き、大学同窓会の夜が明けた。明治学院大学が設立されて56年、ようやく独自の同窓会が出来た事になった。
大学同窓会設立とほぼ時を同じくして、明治学院大学校友会が大学側の組織として設立され、同じ大学卒業生を対象とするだけに、大学同窓会の関わり方にも検討を要し、数次に亘る運営委員会の開催・論議・細則の施行を経て、大学同窓会として軌道に乗り出すには1年以上の月日を要したが、同窓会本部会則にはない現役学生への支援に取り組むため実行委員会が組織されたのを機に、体育会・同好会・白金会OBと現役執行部との交流が2007年12月に実現、ようやく大学同窓会設立の独自性が発揮された。