未来へ繋がった大学時代の経験

1956年(昭和31年)生まれ、75J、宮崎市出身の徳地です。今年63歳になります。

さて、大学時代の四年間の思い出は、次の項目で表現できます。今から思い起こしても中身の濃い時代でした。そしてこれらの経験が社会人になってからの指針になったように思います。

1:世界民族音楽研究会(セミ研)でのバンド活動、2:「オフコースファンクラブの集い」に東京代表として日仏会館のステージへ、3:宮崎から東京までの自転車単独旅行、4:ヤマハ音楽振興会(エピキュラス)でのアルバイト、5:渋谷「グランドファーザー」でのロックバー初体験、6:アマチュア時代のサザンオールスターズとの遭遇、7:宅地建物取引主任者試験合格から公務員試験合格へ、8:アメリカおよびメキシコへの卒業旅行

大学卒業後は、宮崎県庁職員として働きましたが、卒業直前に行った1ヶ月間の海外旅行は「生活の安定した公務員ではなく、もっと刺激的な世界に挑戦したい」との気持ちを大きく育んでいました。そして県庁を3年4か月で退職。

次に就いた農業用スプリンクラーの輸入商社では「夜討ち朝駆け」の働きで小さな会社をビルが建つほどに大きくし、ご褒美としてイスラエルへの視察旅行も経験する事が出来ました。

その後、「好きな音楽を仕事にするのが理想」とビデオ・CDレンタルの黎紅堂に転職。フランチャイズシステムやレンタルビジネスの基礎を学びました。

黎紅堂はトーハンの関連会社と合併しましたが、45歳の頃には「インターネットビジネス」への興味が強くなり、経営コンサルタントの大前研一氏が社長を務める会社に転職。ITを活用した食料品の宅配ビジネスを普及するフランチャイズ本部でしたが、経営方針に疑問を持ち退社。

そして結果的に2001年に自分の会社を立ち上げる事になります。紆余曲折の会社経営の後、最終的にゲームソフトの流通会社として15年ほどで累計40億円の売上を計上する会社となりましたが、4年前に脳梗塞・心筋梗塞・心臓ペースメーカー入植の身となり、昨年、事業を売却した上で、昼の仕事を引退しました。

現在住んでいる宮崎市では「ROCK BAR 1956」というレコードバーを経営しています。高校時代から集めてきた洋楽ロックのLPをお客様と一緒に楽しみながら美味しいお酒を飲む毎日です。

明治学院との関係では、同窓会宮崎県支部の幹事として、会計や同窓会の案内状発送、宮崎出身の落語家「三遊亭天歌」さんの落語会の応援を行っています。

また併せて明治学院の評議員会にも出席させて頂くことで、母校愛がさらに強くなりました。

75年度生 法学部法律学科 徳地 政孝

徳地さんのお店「ROCKBAR  1956」

セミ研でのバンド「ファーストステップ」(ベース、ボーカル担当でした)

1979年3月24日の卒業式。レンタルした書生さんの格好は先生方に喜ばれチャペル前列に座りました。