こんにちは。
80E 応援団 OB の石井と申します。
昨年大学に第 3 応援歌として「MG Glorious」が加わり、私もプロモーションのお手伝いをさせてもらいました。「MG Glorious」が広く浸透し、定番の応援歌になって欲しいと願っています。
かく言う私が現役のころは、今でいう第 1 応援歌の「光の園」しかありませんでした。
練習でも試合の応援でも「光の園」、歌った回数は通算 1 万回を優に超えていたのではないでしょうか。
今回はその中でも思い出に残っている応援歌について書いてみたいと思います。
私が応援団に入団したのは 1980 年 4 月。(まさか応援団員になるなんて、思ってもみませんでしたが…)
その頃の応援団の主な活動の場は、首都大学リーグの 1 部の常連であった野球部の応援でした。
多分全試合応援に行っていたと記憶しています。
1980 年といえば同リーグの東海大学には、後にプロ野球で活躍する原辰徳(読売ジャイアンツ)津末英明(日本ハムファイターズ)高野光(ヤクルトスワローズ)という錚々たるメンバーがいて、向かうところ敵なしというチームでした。(見よ東海の原三振、津末も三振、皆三振?なんていう替え歌も有りました。)
そんな東海大戦の相手側観客席は、東海大生はもちろんのこと原辰徳のファンの女子高生で埋め尽くされている…なんてこともしばしば。
一方我明学大側の観客席はというと、黒一色の暑苦しい応援団員のみで人数も 20 名程度…といった具合です。
そんな対東海大戦はほとんど勝つ見込みのない試合の連続だったのですが、いつも声を限りに応援歌を叫んで?いたのが昨日のように思い出されます。
負けたら責任は応援団にある、という理不尽な理由で駒沢球場をうさぎ跳びで一周!なんてこともしょっちゅうでした。
そんなことの連続だったのですが、ある時大番狂わせで「原、津末」を擁する東海大に勝ってしまった?ことがあったんです。
その試合中の応援歌はとにかくアドレナリン出まくりで、『あの東海に勝つんだ!』と普段の何倍もの気合がこもり、鳥肌が立ち、泣きそうになりながら声を限りに歌い続け、試合が終わった時には抜け殻のようになっていたのを憶えています。
今思えばあの試合の応援歌が、現役時代に歌った最高の応援歌だったのだろうと思います。
あんな応援歌をもう一度歌ってみたい。
今度は応援団員だけではなく明学大の現役学生や卒業生も一緒に。
『神宮の杜』でそして『箱根路』で、肩を組んで歌える日が来ることを願ってやみません。
そのために私も応援団の OB として、まずは応援団の現役学生の活動を応援していきます。
みんなで明学大を盛り上げたいものですね。
第三応援歌『MG Glorious』もご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
最後に余談ではありますが、勝利を収めた東海大戦の終わった後に抜け殻のようになっている我々下級生は『今日の試合はお前達の応援で勝ったんだ。良くやった!』と 4 年生からねぎらいの言葉をかけられながら、『勝った記念にうさぎ跳びだ!』と球場を一周させられたのは言うまでもありません。
1980 年 経済学部経済学科
応援団 OB 会 石井 克彦