2015年・千葉東葛支部・新役員のお知らせ 及び 支部長から明学・現在・過去ミニ写真集

〇 1. < 2015年度 新役員の紹介 >

•支部長   :美浪 節 (みなみたかし)     74年大卒

•副支部長  :橋本 和 (はしもとやわら)   72年大卒

(兼会計幹事)

•総務幹事   :手塚 廣由記             71年大卒

•一般幹事  :小野 照子            64年大卒

•一般幹事  :荒井 康子            64年大卒

•一般幹事  :二宮 考俊            74年大卒

•一般幹事  :堀籠 康一            74年大卒

•顧問監査幹事:永田 良夫               63年大卒

•顧問幹事   :金澤 潤市             64年大卒

                       現在 以上 9名

 

〇 2.〈当支部の皆様へ・支部長が選ぶ「母校の歴史への誇り」ミニ写真集を掲載。〉

支部の皆様と伴に、①「母校へ貢献する当支部活動の指針」②「支部活動の力・源・power」として、「母校明学の長い、長い歴史」を誇りに、また、「想いを新たに」、これからも末永く共有してゆきましょう。 どうぞ以下、ご覧下さい。

 ~ 〇 明学の現在から  ~

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ヴォーリズ広場から見る、パレットゾーン白金に掲げられた150のマーク。同時に、「歴史に学び、現代に生かす」、標語も学内に掲示されました。

毎年大学校内では、多くの行事・講演会など行われています。「明学ホームページ」「校友会ホームページ」及び「同窓会ホームページ」を、ご覧の上、我々卒業生からも①「母校の支援協力の為」、②「母校との末永い絆を」参加して作って行きましょう。

明治学院は2013年に、来日宣教医・ヘボン御夫妻が1863年、(文久3年)横浜外国人居留地39番にて、ヘボン塾を開塾して有為な若者に教育の機会を与えてから150周年を迎えました。(明治維新1868年より5年も前に)。また同年「明治学院150年史」も、編集委員長(同窓生中島耕二本学客員教授)等により完成刊行されました。いつでも大学図書館にて閲覧でき、詳しく明学歴史を知ることが出来ます。

(明治学院歴史資料館ニュースレターNO.5より転記)

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・写真は明治学院大学白金図書館(近代日本音楽館含む)、本館内にあり地下から7階まで占める、大変素晴らしい図書館になっています。卒業生も校友会員登録して入室カードを申請作成すれば、いつでも利用可能です。

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明学発展歴史は、-①ヘボン塾とブラウン塾を中心とする「横浜の宣教師の時代」-②「東京一致神学校と東京一致英和学校を中心とする「築地ミッションスクール時代」-③白金に統合し明治学院として日本の学制に入る「白金の時代」-④東村山・横浜戸塚にキャンパスを広げる「戦後の拡大時代」に4つに大きく分けられること。明学創立を、2000年に、「築地時代」から「横浜時代」へと変更したこと。などを知ることができます。また、ブラウン、バラ、フルベッキ、インブリー、ライシャワー親子博士等が私学ミッションスクール明学へ関わり、その他にも多くの宣教師が学問の教授職として関わった歴史なども知ることも出来ます。

( 明治学院HPより転記)

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下記の写真は米国、オランダ改革派宣教師①ブラウン博士、②フルベッキ博士

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下記は高橋是清。第20代内閣総理大臣。1854年生まれ、1936年2月26日没。ヘボン塾出身(現・明治学院大学)昭和初期の官僚・貴族院政治家・立憲政友会第4代総裁。8回の大藏大臣を務める。日露戦争(1904~1905年)時、日銀副総裁として、戦費調達の為、英国にて外債公募は成功する。1911年(明治44年)に日銀総裁となる。軍事予算の縮小を図った恨みを軍部に買い、2.26事件で赤坂の自宅2階で反乱軍の青年将校らに暗殺れる。享年82歳没。葬儀は陸軍の統制により、1ヶ月後に築地本願寺で営まれる。(wikipediaより引用しました。)また、米国に外債募集で訪れた際には、ヘボン博士の晩年の寂しさを慰める為、晩年のヘボン宅を訪問した5人のうち1人にあたる人物である。後に井深梶之助も訪問した1人。

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下記の写真は明学東村山高校内に移築保存されたライシャワー親子の当時明学内宣教師邸宅。及び、故エドウィン・ライシャワー氏(1910年生まれ~1990年没)79歳。

宣教師の父オーガスト・ライシャワーの次男として、明学内の宣教師宅で生まれ育ち子供時代を過ごし、後に駐日米国大使に成る。ハーバード大学教授、同大学日本研究所所長、東洋史研究者。遺灰は「日本とアメリカの架橋になりたい」との遺言により太平洋に撒かれたことなど、多くの日本人の記憶と伴に、我々60代世代にも、大変馴染み深く、強く印象に残る人物の一人です。

ライシャワー邸

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その他の方々名前を覚えるのも大変な位に多い、明学歴史ですが、ご参考に、米国有名私立大学(ハーバード、イェール、プリンストンなど)は、米国、新教各派が、対抗し競って創立した私立大学に当たります。ヘボン、インブリー氏はプリンストン大学(長老派)卒業生です。私立明学(長老派中心)も同様に、「新教各派それらの大学創設の歴史的な流れの世界史の一つ」に入ります。(新教各派の同志社・立教・青学等も同様)、これは、特に、特に、明学歴史に関して、大切に、覚えておくべきことでしょう。

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下記の写真は松本 享さん

松本 享

1913年9月14日生まれ、1979年6月30日没、英語教師、改革派教会教師。戦前に14年間米国に留学し、戦後NHKラジオ「英語会話」の講師を22年間の長きに渡り務める。

  • 1913年9月14日 北海道網走郡美幌町に生まれる。
  • 少年時代を群馬県高崎市で過ごし、県立高崎中学に2年生まで在学
  • 1929年 家が東京に引越したことに伴い明治学院中学部3年に転入
  • 1931年4月 明治学院高校部英文科に進学。
  • 1949年 コロンビア大学教育大学院修了。教育学博士(Doctor of Education)。1949年9月13日 帰国。
  • 帰国後明治学院大学、日本女子大学、フェリス女学院大学にて教鞭を執る。我々60代世代にも馴染みがあり、今なお、英語教育関係の多くの書籍が売れており多くのファンに慕われている。日本英語教育界の巨人の1人である。(wikipedia 辞典の一部を引用。)

下記の写真は故木島規夫さん。1925年生まれ、1990年没、64歳、司会者、民社党参議院。旧制横須賀中学(現神奈川県立横須賀高校)、明学大文学部英文科卒業。1948年NHKアナウンサーに入局。1964年4月退職しフリーとなり、現・テレビ朝日の「木島規夫モーニングショウ」の司会を1968年3月まで努め、テレビのワイドショウブームの火付け役となる。その後の多くの明学大卒NHK名アナウンサーの先輩格となる。

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下記の写真、 毎年、港区白金台、明治学院の冬の夜に映え渡る記念館・チャペル前庭に点灯したクリスマスツリ-。現在、母校の美しい情景の一つになっています。

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1886年 明治19

4月 東京一致神学校・東京一致英和学校・同予備校の三校合併案成る。(統一にインブリー博士の中心的な活動が貢献する。)

6月 明治学院の名称決定する。
白金(現在地)に校地購入する。(東京府荏原郡白金村玉縄、当時の地名。)
1887年 明治20 1月 東京府から明治学院設置認可される。(インブリー博士の貢献もあり。)

校地を、それまでの、築地(外国人居留地)から、白金に移す。

※ウイリアム・インブリー博士は、明治8年(1875)来日。日本基督一致教会(のち日本基督教会)の成立に寄与。10年創設された東京一致神学校の教授。明治学院教授。大正11年帰国し、1928年8月4日シカゴで死去。83歳。現在、居住していた建物は、インブリー館として、校内に保存されて、公開されている。(インブリー博士の明学への重要な貢献に対して、明学中興の祖として呼ぶ人も多い。)1875年来日し1922年帰国まで、47年間、活動した。「プリンストン大学から日本宣教への業績をたたえて、名誉神学博士号が授与されています。」(wikipedia 辞典記載の中の一部を引用しています。)

※下記の写真は、当時の築地(外国人居留地)です。外国人による貴重なスケッチ画です。ミッションスクールに当たる学校群(明学、青学、立教など)がありました。

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インブリー博士の写真 (明治学院設置へ大きく貢献して中興の祖と呼ばれる。)それは、宣教師達と学問教職の関係と同様に、「明治学院をミッションスクールの性格を維持して、日本の公立学校資格を、当時の文部省に認めさせた多大な功績」を言う。

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明治学院インブリー館

1979年 東京都港区有形文化財に指定。

1998年 国の重要文化財に指定。

2002年 東京都港区「景観上重要な歴史的建築物等」に。指定

下記の写真は、賀川豊彦。1888年生まれ、1960年没(71歳)。1905年明治学院高等部神学予備科入学。さらに青年時代に米国に渡り、インブリー博士と同じ、プリストン神学校に入学しています。大正・昭和期のキリスト教社会運動家。現在でも、多くの明学同窓生の中で、実際に賀川氏より講義を受けた体験者の方々も今尚、いらっしゃいます。毎年、明治学院大学白金校舎で、著名な外部講師により「現代的なテーマ名」で、賀川豊彦記念講演会が開催されています。私も、何回か参加しています。

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現在の「明学の誇り」、素晴らしき新オルガン設置とチャペル内の写真。

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 バッハ時代様式の貴重なオルガンが、2009年に、新たに設置され、毎年、多くの明学チャペル・オルガン・コンサートが、継続開催され、多くの同窓生・一般の方々も参加されて、バッハ時代の貴重なオルガンの音とその音楽を、楽しまれています。支部長の私くしも夫婦で参加して楽しんでおります。

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現在の「明治学院大学の新時代」を、象徴するかの如く、国道1号沿いに、聳え立つ、大学本館建物群の威容です。現在まで、横浜校舎も含む、多くの学部・学科が増設され、「新時代に対応した、大学・大学院教育へ」と、益々、母校は、拡大し進化しています。学んでいる在学生は、2014年5月1日現在では、学生数12,201名、また大学院生157名、法科大学院生29名になっています。(明治学院大学HPより引用)。

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毎年、この他にも、大学構内にて、同窓生・学生・一般者を対象とする、現役教授・外部講師等による多くの無料講演会・各種行事が、また、同窓会本部主催の各種行事・講演会が開催されています。ぜひ、「明学ホームページ」「校友会ホームページ」及び「同窓会ホームページ」を、ご覧の上、どうぞ、ご参加下さい。支部長の私も、行事や講演テーマを選び、時々参加して学んでおります。

 ~ 〇 明学の過去から  ~

 ー明学創始者・ヘボン博士についてー

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・ヘボン博士とご家族(小さな墓石群)の眠るニュージャージー州ローズデール墓地です。ニューヨーク、マンハッタン地区から、車で、約1時間位で行けます。これから、ニューヨークを旅行する方々にも、尋ねることが可能です。(但し、墓地庭園内は大変広く、どなたか、案内人が必要かと思われます。)

図90上記の写真左端、ヘボン博士の墓石を拡大。 (1815年3月13日生れ~1911年9月21日没)、96歳の生涯でした。 今年2015年は、生誕200年の年に当たります。

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終生、海を越え、日本からの書簡集を通じて、唯一、心の内を語り合えた米国在住、弟のスレーター牧師と伴に。翻訳の書簡集出版(絶版中)が有ります。

図29当時の(横浜外国人の居留置内39番、)ヘボン邸の風景です。

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現在は、「横浜市により、ヘボン博士邸記念碑」が建っています。また、明学同窓生有志の皆様で、奉仕の清掃活動も成されております。山下町にあり、一度、ぜひ、お立ち寄り下さい。

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ヘボン先生が心血を注いだ「和英語林集成」、当時日本政府の国際交渉及び近代日本創生に多大な貢献をする。1867年(慶応3年)に上海・ロンドンで印刷された、初版1200冊は、現在換算で150万円で、発売になり、たちまち売れ切れたそうです。第3版の版権を寄付、最初のヘボン館が建つ。更に丸善(現在の丸善書店)により、1910年(明治43年)の第9版まで、版を重ねました。

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米国帰国後に、(1815年3月13日生れ~1911年9月21日没)、96歳で、亡くなるまで住んだ最晩年の家、ニュージャージー州イーストオレンジ・グレンウッドAV71番に、土地と家を購入して住む。(今もなお、他の米国人が住み、現存する。)

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1890年金婚式のヘボン御夫妻及び一人息子サムエル夫婦・クララ夫人の妹・その娘写真。

1891年10月13日、高齢による健康上の理由で、第1代明学総理(院長)を辞任。 その1年後の1892年(明治25年)夫妻の帰国の送別会が10月15日横浜指路教会で開かれ、ヘボン訣別の辞で、33年間の活動を語る。井深氏が司会、フルベッキ氏が送別の辞述べる、10月22日、横浜からゲーリック号で、帰米の途に着く。

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前年1891年(明治24年)、11月6日井深梶之助が第2代明治学院総理(院長)となる。(就任式がサンダム館2階の講堂で行われる。明治学院100年史より)。この時は井深37歳、ヘボン博士76歳。

その後、明治学院同窓会を設立する。下記は井深梶之助の写真。

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さらに時を経て、1906年(明治39年)6月、島崎藤村が明治学院から依頼を受け校歌の作詞完成(曲は前田久八)。1907年、井深、インブリー、ジョン・バラ、ワイコフの4教授「在職25年を祝う会」で、初めて明治学院校歌が歌われる。(石川潔氏のヘボン関連年表から)引用しました。   写真は島崎藤村とその家族。

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明学創始者ヘボン先生、在日の具体的活動と夫妻の日常生活を、詳しく知る為に、大変役立つ書籍です。1859年〈安政6年)10月18日神奈川に一時上陸し、22日に成仏寺に居住して、それ以来、1892年(明治25年)10月22日まで、33年間の長きに渡り、米国本部の新教、長老派からの、宣教医として、在日奉仕活動で、医療・教育・和英辞典・聖書翻訳・その他にも、多くの近代日本への貢献を行ったヘボン先生。

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その間の米国長老派本部へを「当時の日本事情、政治状況、横浜事情、医療状況、日本人の印象、宣教状況などを」送った「当時日本の状況を知る上での」貴重な書簡集を収録したものです。

P7220217私くしも、より詳しく、この書籍にて、知識を得ることが出来ました。当支部の皆様へ支部長より、ご推薦出来ます。編集出版した明学関係者へ大変感謝致します。

いつまでも変わらぬ古き良き、白金校舎のヘボン像とヘボン館。

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  ミニ写真集は以上です。