ぽっちゃりランナーのよもやま話

 今年の春、長年勤めていた会社を65歳で定年退職となりました。79年度文学部第二部英文学科卒業の三上と申します。
夢の退職後の生活。毎日が日曜日で家族・仲間との旅行、博物館巡りとか・・・いろいろと計画していましたが、ご承知の通り新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言・まん延防止等重点措置で全て露と消えてしまいました。

そういえば私の退職祝いの会も一緒にどこかへ消えてしまいました。
さて、今から25年位前の私のマラソンに関するお話をします。
私が40歳頃、入院手術を機につくづくと元気、健康でいることの大切さを身に染みて感じ、退院したら出来る、出来ないかは別にしてフルマラソンにチャレンジすることにしました。
当時と変わらず現在の私の体型は身長166cm、お腹がちょっと出ていて体重は重たい方(詳細数値は機密事項のため公表不可)で、とてもランナーと称するには相応しくない体型です。
フルマラソンを完走するためには週末練習はもちろんのこと、日ごろの練習が必要です。特に毎週水曜日の勤務終了後、仲間と一緒に桜田門をスタートして皇居1周を走りました。 もっとも、その後は行きつけの中華料理屋で酒盛りをするのが恒例となっていました。 着替えは今では考えられませんが、もっぱら皇居桜田門のベンチで行い、貴重品のみを持参してのランニングでした。 現在ではランニングステーションというものが皇居周辺に多く点在していて、そこで着替えとシャワーができるようですね。 当時その施設があれば、大変便利だったのになぁ~とつくづく思います。
当時は現在のようにマラソンブームではなかったため、好きなマラソン大会に応募すれば簡単にエントリーが出来ました。 遠くは北海道札幌、秋田田沢湖等、地方にまで遠征して大会へ臨んでもいました。
練習の中で一番に記憶に残っているのはマラソン合宿と称して山中湖、明治学院大学湖北寮を拠点として富士五湖(走った順番:山中湖、西湖、本栖湖、精進湖、河口湖)を全て完走したことです。 新入生時代に湖北寮でのサークル歓迎合宿では、とても怖かった羽田寮長から直筆のコメント付き完走証をいただきました。
その後、幾度か山中湖マラソン大会参加の際は湖北寮を利用させてもらい、大会当日の朝には羽田寮長自らの運転でマラソン会場へ送っていただいた事もありました。
湖北寮はとても良い思い出として残り、また羽田寮長のいろいろな心配りに心より感謝を申し上げます。 
フルマラソンは板橋区主催の東京荒川市民マラソン(現在、板橋Cityマラソン)を毎回、制限時間ギリギリながら1998年から2007年にかけて10年間(10回)完走しました。
同じ大会で10年間完走することはやはり並大抵のことではありません。 走れる環境(家庭、仕事、プライベート)と体調維持管理はもちろんのこと、同じ大会でありながら毎年開催する月が変動して3月の寒い時期もあれば6月の暑い時期もありました。これらの寒さ暑さ対策を講じて雨にも負けず、風の強い日も負けずに続けて10年間、よく完走したと自分でも驚いています。 補足ですが、板橋区長から10回連続完走記念記録証をいただきました。
たくさんのマラソン大会参加を通じて私なりの変なポリシーが出来上がりました。
1) お年寄り、子供、女性に負けても自分と同じ体型(ぽっちゃり、おデブ系)には絶対負けない!
2) スタートは一番、最後尾から。
メリット:なんと言っても抜かれる心配がない。 安心、安全であとは抜くだけです。
デメリット:最後尾だと周りは着ぐるみ集団(スパイダーマン、ウルトラマン、ハクチョウさん、パンダさん、他)と一緒のスタートになります。
自分が何の大会に参加しているのか分からなくなります。
ちなみに、現在は長年の体重過多でのランニングがたたり、とうとう膝が悲鳴を上げて50歳でマラソンを引退しました。
大学を卒業して一般社会人になっても、学生時代の思い入れが強かったせいか、いまだに明治学院大学から離れることができずにいます。
現在も明治学院大学を通して、出会いの機会をいただいていることに感謝をしております。