『「狛獅子」と「狛犬」』<大嶋俊治>

79年度生経済学部卒の体育会ソフトテニス部の大嶋です。前回は大学時代の想い出を書きましたので、今回は最近の関心事を書かせて頂きます。
私は、神社検定の資格認定を受けてから、近年「狛犬」に興味を持ち始めました。皆さんの神社の本殿から見て、左側が「狛獅子」、右側が「狛犬」というのを御存知ですか(例外はあります)?口が阿吽(あうん)になって(例外はあります)いるのは、比較的有名ですが、狛犬は、地方や時代により、いろいろ違いがあります。狛犬は比較的、直毛で、狛獅子は巻き毛になっていたり、江戸時代には、狛犬に角をつけたり、狛獅子には宝珠をつけたりしておりましたが、1794年に出版された職人たちのイラスト見本帳とも言える『諸職画鑑』の狛犬図を描いた作者が狛犬を間違えて描いたものが広がり、左右が逆転したものが増えました。
 諸説がありますので、ご批判は甘んじて受けます。遡るとエーゲ海のミケーネ文明のミケーネの城塞のライオンの門やエジプトのスフインクスなどもその一つと言われています。これが西の方へ行くとイングランドの王家の紋章のライオンになり、東の方へ行くと狛犬になったと言われています。日本へは仏教が伝わった際に仏像とともに、守護をする神獣として一緒に配置されてきたようです。狛犬自体の語源は、朝鮮半島の高麗(こま)から伝わったので、狛犬(こま)と呼ばれるようになったと言われています。鎌倉時代までは、木造だったようで室内に置かれています。宮中では御簾や緞帳などが風で動くのを押え、魔除けとして使われていたようです。この木造だった小型の狛犬が、魔除けで屋外にでるようになり、木だと劣化が早いので石造りとなってきたようです。日本最古の狛犬と言われているので東寺の木彫狛犬で9世紀前半と言われています。石造りでは東大寺の南大門にある狛犬が1196年という記録が残っています。このタイプは、各県にある護国神社(東京だと靖国神社)の護国系神社のモデルになっています。朝鮮半島や中国から入ってきた、狛犬は海運の発達とともに北前船のバラストとして使われた石(福井の笏谷石しゃくだにいし)とともに日本海側に伝わっていったと言われています。
東京の狛犬で、年号が判っている古い狛犬は目黒不動尊の狛犬で1654年となっています。中国系は、沖縄のシーサーと共通点があり、阿吽にはなっておらず、同じ顔をしていますが、最近は阿吽になっているものもあります。中国の狛獅子は首に鈴を付けているものが多いです。岐阜や越前付近の禿型狛犬や広島県付近の玉のせ型、江戸獅子山、江戸流れ型、石川県付近の構え逆さ狛犬、佐賀、福岡付近の肥前狛犬、福島県の棚倉町付近の飛翔狛犬、秩父付近の狛狼など地域や時代によって特徴があります。狛犬ファンにはつまらないのが、現代岡崎型という中国で量産されている狛犬です。たぶん一番見かけるタイプです。
神社やお寺を参拝されても、なかなか狛犬を記憶されている方が少ないですが、是非、参拝されたら狛犬の顔の向き、耳の形、足の形、指の数、尻尾の形、制作年などチェックしてみて下さい。意外に江戸時代の古い狛犬だったりして楽しいですよ~