1976年度生、卒業は1980年で、今年67歳になる者です。
大学在籍当時は体育会卓球部に所属しておりました。体育会ですから愛校心は強かったのですが、明治学院の歴史は深く知りませんでした。
50歳の頃より、仕事もひと段落してようやく卓球部のOB会にも顔を出せるようになり、今となっては毎年の総会の常連となっております。
そんな中、昨年のことです。1人のOGが、移住先のハワイから久しぶりに日本に一時帰国するので、卓球部の後輩として歓迎会に出てほしいと依頼され、ひょこひょこ顔をだしました。
勿論初めてお会いになった先輩もいらっしゃいましたが、中には久しぶりの方もいらっしゃいました。
プラチナ通りの店での歓迎食事会をした後、白金キャンパスツアーと称して学内キャンパスを一行が歩いていた時です。
1人のOG(65年度生)が言いました。
『私、この建物で生まれて19歳まで過ごしたのよ!』と。
『えーっ?』
一瞬、わけが分からなく……どうもその建物は、移築してきて現在のチャペル前に据えたようです。木造のあの横文字の建物です。
なるほど帰宅後ネットで検索すると移築した年代と言い、数百M移築したことといい、かのOGの話の裏とりができました。
ネットにはこうも書いてあります。
「……学院関係者の公宅や住宅として長い年月使用されてきた……」と。
今では東京都の重要文化財にも指定されています。
ところで、こんな史実を在校生はどれほど知っているだろうか?
もう少し自らのアイデンティティを大切にしてほしいと思うと同時に、教職員が学生以上にアイデンティティをもっているだろうか? と疑問が生じた。
指導する側の方からもっと明治学院のアイデンティティを大切にしてほしい、そう願わずにはいられなかった。
いちOBのつぶやきです。
体育会 卓球部OB会 湊