私のつぶやき

 過去のつぶやきを拝読させていただくと、学生時代の思い出やエピソードが多く、時には当時の情景が思い浮かび、懐かしく微笑ましい心持ちとなるが、今回は私の体験含め明治学院大学を違う視点でつぶやきたい。

私は卒業後、プラントメーカーから異業種の人材を欲していたホテルに身を置くこととなり、営業職として主に法人営業を任された。

いまでは当たり前となっているセールス部門が組織化された国内ではじめてのホテルであり、このときは異業種からの人材が求められ、社内の活性化を図る目的での採用であった。

私の営業先は当時の都市銀行、生保、損保の金融全般、9大商社他そのほとんどが上場企業で、政界や官庁はベテランのプロパー社員が担当した。

仕事はその企業の周年行事、社長就任披露、顧客招待会、新商品発表会等々、1980年代ホテルの宴会需要は旺盛で、1宴会2時間で数百万から数千万円のビジネスを受注することがミッションであり、1991年のバブル崩壊まで生産性の高い仕事であった。

当時の競合ホテルは国内のいわゆる民族系ホテルであり、外資系ホテルは1990年以降開業ラッシュとなったが大型宴会場は有していなかった。

企業催事を受注するには、ホテルを選択する決定部門がどこにあるのか、誰が決めるのか情報収集に時間を要した。

他業種のビジネスと同様である。

いいビジネスを獲得するにはキーパーソンを探らなければならない。

そのヒントとなったのが、東洋経済新報社の会社四季報、役員四季報を活用することであった。

いまではホームページでその企業の会社概要や役員の異動に至るまでワンクリックで判明するが、1990年代以前は分厚い四季報を手放すことが出来なかった。

この虎の巻のひとつである役員四季報では役員の出身大学が記載されており、1980年代、東証1部2部上場企業の役員出身大学ランキングで明治学院大学出身者は数名しかおらず愕然とした記憶がある。人脈形成を同窓生に頼ろうとした私も浅はかだった。

また、訪問先企業で懇意となった役員や役職者から、「学校どこ?」と聞かれることも多く、「ミッション系です。」と応えると、「立教?青学?」と言われるのが常套で悔しい思いを何度も経験した。

出身大学で仕事を取りこぼすことはなかったが、やはり上場企業では出身大学での区別があるのかと痛感した。

いま、官民挙げてダイバーシティ推進を掲げているが、本音では上場企業が採用において下す評価や判断基準は厳しく冷たいのが現実であることを知るべきであろう。

漫談家の綾小路きみまろではないが、「あれから、30年・・・」前述の東洋経済別冊2018年版役員四季報を参照すると、全上場企業3、651社、役員数41、028名中、役員数のトップは慶應義塾大学の2,159名、その後に東大、早稲田と続く。

明治学院大学がどこの大学をベンチマークとするかわからないが、参考までに18位 立教大学  241名、20位 青山学院大学228名、29位 学習院大学 138名、31位 成蹊大学  119名、34位 神奈川大学 100名、49位 明治学院大学 74名

ランキングでは明治学院大学出身の役員数は100名にも満たず49位であった。

30年前と比べると大きく前進?しているが、まだまだ後塵を拝している。

立教も青学も役員数で200名以上ということは、上場企業では両校の学生を伝統的に多く採用していることが窺える。また、私学のランキング上位校は大学スポーツにおいても同好会の域ではなく、スポーツの強化においても大学が積極的に取り組み、全国に名声も轟かせている。

なぜ、このような結果になるのか、現実を直視し過去に遡り検証する必要があるだろう。

もちろん、上場企業だけが会社ではなく、非上場や個人事業主でも優秀で立派な会社や経営者が多く、そこで活躍し社会に大きく貢献している同窓生も数多く知っている。これが明治学院の強みなのかもしれないが、他大学も同様である。

これで善しとするのか、百年の計で未来を見据えるのか、将来に渡り明治学院大学の卒業生を、経済界はもとより各界のオピニオンリーダーとして数多く輩出させることができれば、明治学院大学の名がさらに社会に広く認知され、少子高齢化の大きな波のなかでも受験率や就職率の向上がさらに図られるだろう。

今後の明治学院大学がどのようなグランドデザインを構築されていくのか注目し、且つ期待に胸を躍らせたいものである。

*参考資料

 東洋経済別冊2018年版 役員四季報

大学同窓会運営委員 原田健一

    (76年度生 法学部)