先日、白金校舎での用事の帰りに高輪ゲートウェイ駅の様子を見に行きました。未来的な駅舎とは裏腹に周辺はまだ建設の真最中で、広大な工事現場のど真ん中に新品の駅だけがあるという不思議な景色でした。
あのエリアは元々海だった場所を、埋め立てに埋め立てを重ねて鉄道用地として使われ続けました。その経緯から深く掘った事が歴史上一度もないため、実際に工事を始めると地下には歴史的に貴重な遺構が沢山残っていたそうです。その影響から工事の計画はかなり慎重なものになっているのだと聞きます。何故駅の回りを駅と同時期に完成させなかったのか?と最初は疑問でしたが上記の理由を調べて納得しました。調査もせずに壊してしまったら大変です。
見つかった物の中でも高輪築堤と呼ばれる遺構は世界的に見ても大変貴重で保存展示の方向で検討されています。これは品川駅周辺が海だった頃、海上に蒸気機関車を走らせるために作られた土手のような設備だったそうです。海となると品川の今の大都会ぶりからは信じられない景色ですし、白金校舎は数分歩けば海が見える校舎だった、という点もまた信じられません。
昔の事もそうですが、これからもあの周辺は信じられないくらい景色が変わっていく事と思います。JR東日本はベイエリア地区の都市開発に力を入れており、中でも品川と高輪ゲートウェイの周辺は巨大なビルが建ち並ぶ広大なビジネスエリアになるそうです。それを受けてか地下鉄南北線・三田線のどちらかが品川まで乗り入れるという計画もあり、今後は景色だけでなく人の流れも大きく変わる事でしょう。
04年入学の私が在学していた当時は白金校舎まで品川駅・目黒駅・白金高輪駅のどれかから歩いて通っている生徒が多かったように思います。一番近い高輪台と白金台、そしてバスが候補から抜けているのは皆おそらく定期代を節約するためでした。しかしこれから上記の鉄道網の変化が訪れると、この傾向にも影響が現れる事でしょう。駅周辺に色々建ち並んだならば高輪ゲートウェイ駅までの道が在校生の一番人気の通学路になるかもしれません。
そして通学路と言えば、長きにわたり私達を見守り続けてくれた正門前の大銀杏が惜しくも姿を消し、今は切り株だけが残されています。あの木も長年調査が入っていたようで、幹の空洞化が進みいよいよ倒木の危険性が高くなったが故に伐採となったのだそうです。ずーっと変わらないように見えて実はそんな事は無かった訳です。
考えてみれば街も人も変わらないものの方が圧倒的に少ない、当然といえば当然です。変化というのは〝新しい物が出来るワクワク“と〝見慣れた物が消える寂しさ”が同居するものだと改めて感じた一幕でした。
07年度文化団体連合会
委員長 中村 崇哉
(2008年経営学科卒)