「無名の存在から、有名へ」祝、ソフトバンクホークス入団

昨年11月に素晴らしいニュースが飛び込みました。母校明治学院東村山高校野球部出身の澤柳亮太郎君が野球部創部60年にして初のプロ野球選手が誕生しました。
 中学時代は福生シニアでプレー、明学東には新しく新設されたスポーツ推薦枠で入部。2年生からエースとして夏大でデビュー。翌3年夏の西東京大会で全3戦の先発投手を務め、合計14回8失点の粘投で4回戦まで進出しました。このベスト32の成績が母校最高の成績となっております。
 明学大では首都大学2部でリリーフ兼先発投手として1年生からベンチ入り。2年生時には自己最多となる3勝をマークする等、4年間で35試合、計110回を投げ、通算9勝、防御率3.11の実績を残しました。
 大学4年間で球速も自己最速の150キロまで伸ばし、卒業後プロを目指しましたが、指名がかからずロキテクノ富山入りを選びました。
この時の冬季自主トレで久しぶりに彼と再会致しました。身体つきは高校時代の二回り程大きくなっており、その時彼の口から「無名校を何とか有名校にしたい」と言う言葉か今でも私の頭に残っております。
 ロキテクノ富山では1年目の都市対抗で全国デビュー。その年の10月に開催されたUー23ワールドカップ日本代表に選ばれました。
昨年のドラフト会議後のソフトバンク福山スカウトチーフが「お宝を発掘出来た感覚です。」とコメントを寄せており、とても期待の出来る存在と思われます。
 私も正直、この話を聞いた時にOB会長としては恥かしい限りでは有りますが「嘘だろ」と、思わず叫んでしまいました。その後の澤柳君を載せた多くの新聞等を拝見するに、殆どの記事は「無名校で無名の存在」とされています。有言実行とは言え「有名」になる第一歩を踏み出した今、厳しい世界では有りますが、ピッチング同様、粘りのある活躍に期待したいと思います。頑張れ澤柳選手。

明治学院東村山中学2期生、同高校8期生、明治学院大学文学部英文科73年度生
現明治学院東村山高校野球部OBOG会会長
福永明彦