夏に想う

Kさんは、私の中学高校時代の同級生です。セレブなご家庭育ちの大人びた綺麗なお嬢さん。時々話す程度の仲でしたが、発想がユニークで気さく、愚痴や悪口を言わないひとでした。
 ともに美術部々員で、よく私の作品を見に来ていました。私が美大受験を「自信ない」と断念すると、彼女は、「一緒に行きたかった」と言ってくれました。
 Kさんはデザイン専門学校に進学し、のちに建築デザイナーになります。

 大学2年の時、Kさんから久々に連絡があり、勤務先のデザイン事務所のバイトを依頼されました。とてもやりがいのある仕事で、彼女を羨ましく思いました。
以来私たちは親しくなり、結婚後は家族ぐるみで付き合いました。
私たちの最大のイベントは、毎年夏2~3回訪れる国道136号線沿いの海への旅です。そこは当時は穴場の、海外リゾートと昭和レトロが混在したような、白い砂と澄んだ海の美しいビーチでした。一日中眺めていても飽きない、癒しの海でした。毎年友人が友人を招き合い、初対面の方々も含めた大人数が集い、おとなたちは子供たちよりもはしゃいでいたように思います。

10年目の海で、Kさんは、「もっと仕事がしたい」とぽつりと言いました。その頃は私もデザインの仕事を2年ほどしていましたが、家庭と仕事の両立に悩み、退職を決めていました。
続けて彼女は私に、「なんで絵を描かないの、私の描けない色で描いていたじゃない、我慢しないでよ、自由にさせてあげてって言ってあげるから」と。私は本音を指摘されて、苦笑いするのみでした。

翌年Kさんから『主婦業卒業しました/不安だけど決めたからやる』という年賀状をもらいました。「落ち着いたら会おう」と電話すると、Kさんは、「そのうちね」「みんなは変わらず会うんでしょ」と答えました。それきり連絡先は分からなくなります。
まもなく私も諸事情により、あの海に行くことはなくなりました。

人づてに、Kさんのその後について聞きました。私には別のひとのことのように、遠い存在のように感じられました。
そして私は彼女の何を見ていたのだろうと思いました。悩んでも結局は流れに任せる私とは違い、彼女は何事にもブレなく進む芯の強いひとだと初めて知ったからです。

10数年後、Kさんの訃報を受けます。享年46歳。
斎場には大勢の弔問客がおり、彼女の交流の多彩さと仕事の充実ぶりが伺えました。過酷な闘病だったと聞きましたが、彼女の顔は昔のまま、ああ本当に綺麗なひとだったんだと思いました。
またKさんの一人娘さんにも会えました。最後に会った時は6歳、私のあだ名や一緒にあの海で遊んだことを覚えていてくれました。後ろ姿と笑い方が、Kさんそっくりでした。
その夜、私は涙が止まりませんでした。彼女との最後の会話、「そのうちね」は、もう来ないからです。

それから毎年夏になると、Kさんとあの海を思い出します。二人で海を眺めながら、のんびりとたわいのない話をしたいなぁと。

1985年社会学部社会学科卒  島田五月