「憂うつな金曜日」

 明治学院大学を卒業するのに必要な必修科目の一つに「体育」というのがあった。1976年、1年生の私は「基礎体育」というコースを履修した。これは1年間で2単位取れるため希望者が多く、抽選の結果、狭き門を突破し、このコースを取れることとなった。

 ところが、やったー!!と思ったのも束の間、初回授業から見事にやられてしまった。午前中は休むことなく、1時間いやそれ以上の徒手体操。手や足を上げたときの角度とか、いちいちうるさくチェックされ、続けて縄跳び等々、とにかくものすごくハードなのである。

 昼休みを挟んで、午後はマット運動とトランポリン。トランポリンの最終課題は、“抱え込み落ち後方宙返り”(男子は前方宙返りだったと思う)。そんなの絶対無理、と暗く落ち込んだのだった。そして、欠席はマイナス10点、遅刻・早退・見学はマイナス5点で、100点満点で60点以下は単位不可という、なんともシビアなものだった。

 徒手体操の中には、手足の動きが結構複雑な「器用体操」なるモノが全14種類あり、ややこしいことこの上ない。縄跳びは5分間一定のリズム(「雨にぬれても」のBGMがかかっていた)で跳び続け、引っかかり回数が5とか3回以内で、最終的には引っかかるな、というもの。

 高33学期頃から全然運動していなかった私にとって、いきなりのこの内容はあまりにもショッキングで、翌日は全く起き上がれないほどの筋肉痛になり、おまけに発熱までしてしまった(余談だが、そのせいで所属したサークルの楽しい楽しい新入生歓迎ピクニックにも行けなかった)。

 さて、それからというもの1年間にわたる私の「憂うつな金曜日」が始まった。マジソンスクエアガーデンのスポーツバッグに、着替え、お弁当、縄跳び、そしてレコードブックなる日々の運動を記録するブルーの表紙のノートを入れ、京浜蒲田駅の自販機で缶の不二家ネクターを買い、大田区体育館まで通う。

 行きは憂うつ過ぎて足取り重く、帰りは疲労で足取りが重く、しかもなぜか5時限目の授業も履修してしまったため、終了後は白金校舎まで行かなければならない(またまた余談だが、ある時その道すがら高輪あたりをダラダラと疲れ切って歩いていると、なんと若き20歳頃のナマ郷ひろみに出くわしたことがあり、ちょっとだけ元気になったこともあった)。

 雨でも、体育館のため中止にはならず、何度かウエイトリフティングの早慶戦?と重なったことがあり、その時は隣接する集会室で実技ではなく講義になった。その時のうれしかったことといったら…

 4年間様々な授業があったが、おそらくこの「基礎体育」が一番真面目に出席し、一番深く印象に残っているものかもしれない。ついでにもう一つ、実技終了後、毎週加山雄三の“旅人よ”とか“俺は海の子”を、タカハシ先生やコイズミ先生のご指導の下、全員で歌わされたこともあった。あれから40年近く、器用体操17と加山雄三の曲は、今でも覚えている。

                      運営委員 藤森 智子(1980年 社福卒)

70年代に一世を風靡したマジソンバッグ。持っていた方も多いのでは。

70年代に一世を風靡したマジソンバッグ。若者の必須アイテムだった。