6月になりましたね。
「ねえ!5月病ってどうすれば治るの?」
「お前ねえ!そんなの6月になれば治るよ。」
「ねえ!お餅って何故カビが生えるの?」
「馬鹿野郎!早く食わねえーからだ。」
これはご存じ落語家「林家木久扇」さんのギャグですね。今日の本題に全然関係ないですけど……。
6月になれば、梅雨の季節がやってきて、くそ暑い夏がきて(私は泳げないんでこの季節が大っ嫌い!)。そして、11月が来れば待望の私たちの母校「明治学院大学」の「白金祭」の季節がやってきます。今年は、なんと2年ぶりに明治学院大学同窓会が「白金祭」に参加することになりました。先日、その参加団体説明会に出席してきました。その時の学生の皆さんの熱い息吹(同窓会の会長は「伊吹」純一郎さん)を感じることができました。
私は、1968年に明治学院大学に入学しました。サークルは「マンドリンクラブ(通称マンクラ)」。新入生が60人は超えていたかと思います。ぜんぶで100人をはるかに超える人数がいて、「鬼」のような先輩たちのシゴキに会い、毎日「こんなクラブ明日にでも辞めてやるう!」と思いながら、夜は一人ベットで悔し泣き、忍び泣き、死ぬの生きるの…、いや、死んで花実が咲くものか!ああ!南の島に雪が降る……。
でも、秋になって「白金祭」の時期がやってきました。今は無き「グリーンホール」の2階で、我が「マンクラ」は喫茶店を営業していました。普段練習している大合奏もいいのですが、「アンサンブル」とか「ギターソロ」もやった記憶があります。
大学卒業後、26歳でギターをやめ、企業戦士みたいな生活を送っていましたが、53歳のときに縁があって、現役の明治学院大学マンドリンクラブの演奏会を聴きに行きました。演奏会終了後、ロビーで学生時代には鬼のように怖かった先輩方に「捕獲」されてしまい、次の日からギターを弾いています。
50歳を過ぎてから再び楽器を弾くようになるとは夢にも思っていませんでしたが、いろいろな「縁」というものを大切にしたいなあ…とか、OB団体での7年間の代表幹事のときに知り合うことになった、大学校友会、大学同窓会の関係者の皆さんにご指導をいただきした。また、現在も明学出身というたくさんの仲間たちと一緒においしいお酒を飲みかわせるってことが「とても素晴らしい!」と思っています。
というわけで、今年の「白金祭」もすっごく楽しく、素敵なものにしたいなあ……。われわれ年寄りも気持ちだけは若いのだよ!学生諸君!なんちゃってね!
ハイ!ここいらで退場です。
運営委員 山川 貢平 (1972年法律学科卒 マンクラ4年中退)