我が家の桜の木によせて

居ながらにして、自宅の庭で「花見」がしたいと、都心の小さな庭に一本の桜の苗木を植えた。大木にならない、花の色合いのやさしい透明感のある、八重咲きでも花びらの数の少ない「紅豊」と云う品種である。
成長が速く、やがて花を咲かせた。

その頃、都市開発の波が、我が家にも押し寄せて来た。最も気掛りだったのがこの桜の木のことだった。そこで、まず区役所の土木課の窓口へ行き、その事情を話した。さっそく、庭を見に来てくれた。そして、区の「グリーンバンク」で預かってくれる約束が出来た。
桜の木の他に源平桃、金木犀等、我が家の庭木は、私から離れていった。そして、一時、区の公園に植えられ、住居が決まった時、再び自宅に持ち帰って植えられると云うシステムである。ただし一つ条件があった。それは、その木の持主が自宅に持って行く前に、その木が欲しいという人が出て来た時は、その人の元へ行ってしまう。それは仕方の無いことだと思った。大切にしてくれるなら、どこに植えられても、元気に育ってくれるなら、と自分を納得させた。

私は、自分の木が植えられている公園をたずね歩いた。源平桃はすでに、新橋の公共の建物の庭の入口に植えられ、垂れた枝に紅白の花を咲かせていた。
桜の木の行方がしばらく、分からなかった。貧弱な枝ぶりで、樹形も美しくなかったので、人目につきにくかった。やっと浜松町の貿易センタービルの後ろの小さな公園の片隅で、ひっそりと花をつけている桜の木に会えた。見覚えのある桜の木を見た時、涙が出た。

「こんな所にいたんだ。きっと迎えに来るからね。」と、思はず云っていた。
それから5年後、私の手元に戻って来た。今では風格も出て、近所では有名な桜の木に成長した。今年もまた花を枝いっぱいに咲かせて、近所の人、通勤の人、車で通り過ぎる人を楽しませてくれるはずである。そして、桜の花の下では会話がはずむのだろう。

  一房のゆらぎも見せず朝桜  朝子
                            横澤 朝子(1956年 英文科卒)

道行く人の目を楽しませている”我が家の桜”