ノストラダムスの大予言やコンピューターの2000年問題の脅迫から解き放たれ、なんとも拍子抜けした雰囲気の日本で同級生が就職活動を本格化させていた頃、私は大学に入る前からの夢であった世界一周の旅に出ました。
時はバブル後の日本経済暗黒期。根が不真面目な私は「どうせお先真っ暗だし、大学生の特権を最大限に発揮して楽しんでやれ!就職はまだ先でいいや」と開きなおっておりました。
今にして思うと、私の大学生活はこの旅の準備とプレイングテニスアソシエーション(PTA)での活動が全てだったように思います。
朝早くからテニスのインストラクターのアルバイトをして、昼にはサークルのメンバーとまたテニス。夜になれば留学や旅費を稼ぐための深夜バイトへ。3年生になってからはサークルの主将も務め、愛好会の主将連という名の麻雀同好会での活動も本格化していきます。
そんな生活をしているので正直授業にはほとんど出られず。いや、出ず。試験前になると友人や教授達への営業活動が始まります。アポどり、アイスブレイク、クロージング、時には泣き落とし。マクロ経済学の単位は落としましたが、“授業外営業実技”はAAA。授業で聞いたことはあまり覚えていませんが、ここで手に入れた営業力と周囲の方に協力を仰ぐ癖は、この後の私の人生に本当に役立っています。この場をお借りして当時の教授の方々にお詫び申し上げるとともに、私に単位を取らせるために尽力してくれた友人達に心からの感謝を!
さて、テニスバックをバックバックに持ち替えてフラフラと世界中を旅した後に無事大学を卒業し、最初に就職したのはタウン誌の営業兼クリエイターでした。最終面接でそこの社長に「君、大学の成績悪いねぇ」と言われたのを「私、全然授業受けて無いんです!それなのに単位取れるなんてスゴく無いですか!? 」と言ったら採用してくれました。なんとも奇特な会社でしたが、それもこれも営業技術実習の賜物です。
次に転職したのがリクルートという会社で、ここではクリエイターとして企業やサービスのブランディングの仕事に従事し、今は独立して同じような仕事を続けています。ちなみに明学の近くにあるホテル雅叙園東京が、目黒雅叙園から名前を変更した際のブランディングは弊社が担当させて頂き、ロゴマークや屋号のデザインも手掛けさせて頂いています。目黒の駅前に大きな看板がありますので、よければぜひご覧ください。
今回このような寄稿の機会を頂き改めて思うこと。それは、
なんて親不孝な大学生だったろうという一念につきます(笑)。
それでもあの時間はやはり尊く、明治学院大学で磨いた自分らしさを活かしてさらに自身の会社を成長させていけるように頑張っていきたいと思います。
佐藤岳彦
2001年 経済学部 経済学科卒