明治学院を通して

初めまして、71E・中田孝彦(75度卒)と申します。
この度、2020年度より明治学院大学同窓会の運営委員にならせていただきました。
小生は3年前に長年勤めてまいりました銀座松屋を65歳にて定年退職致しまして、現在実家にて家業のビルの不動産賃貸業とコンサルタント業などを致しております。

明治学院との出会いは、実兄が世田谷の用賀教会にて青年会の活動をさせて戴いた時に、そこでお知り合いになった明治学院・白金高校に在学されていた実兄と同世代の方を家に連れて来られた時にさかのぼります。
小生と実兄とは3歳の年の差があり、遊んでもらったというよりも何かと影響されていた時期でも、兄の友人が来られても、密かにビ-トルズやクリフ・リチャ-ドなどのレコ-ドを家でかけていたのをこっそりと聞きかじっていた時代でした。来られた時のファツションや音楽の事やその話し方、雰囲気など、またピアノがとても上手で全て憧れの対象でした。
そんなこともあり、明治学院大学経済学部に入学致しました。
大学生活においては、一番印象が残っていたのは1年生の時の第1外国語の英語教師が、ハワイから来られた日系人の先生でした。年齢も少し上の先生だと思いますが、授業の後も良くお話をする機会があり、ここで強く「海外・外国・英語」を印象付けられました。
当然、これからは英会話力が絶対必要と思い、2年生の夏より大学とは別に神田の英会話学校を夜6時から9時半まで、週3日間通い、そこでの同じ教室で様々な年代の社会人の方と共に学び、終わってからの諸先輩の社会での生き方みたいものを教わったことを覚えております。その時、同じグル-プとなった先輩に、その後の自分の進むべき方向を教えていただいた百貨店にお勤めの男性おり、その方にかなりの影響を受けたことを覚えておりました。
そして、大学3年生よりこれからの商業界において「マ-ケッテイング」が必要と考え、ゼミを選択において、「マ-ケッテイング」肥田日出夫先生にご教授頂き、公私ともに大変お世話になりました。肥田先生は退任され、地元愛知に戻られましたが、今でも何かとご教授頂いております。
よって、就職は東京在勤の百貨店を受け、社会人として「百貨店人」として43年間過ごすことが出来ました。
自分の人生おいて、いろいろな出会いと影響されることなどが多くありましたが、友人との出会い、多感な時期や進路の選択の中で、「明治学院を通して」ということの多さに今、この歳になり、小生の生涯を挙げて、感謝を致しております。
                          1975年経済学部経済学科 卒
                          中田孝彦