歌い継がれる 明治学院校歌

 2017年12月16日、アミノバイタルフィールドでおこなわれたアメリカンフットボール 1部2部入替戦、明治学院大は東京学芸大に6-21で敗れ1部昇格はなりませんでした。
出場していた甥の菊地峻太朗にとって、学生生活最後の試合となりました。
3月に卒業して4月からは社会に出ます。


 2014年、甥は入学が決まった時、私の父菊地義雄が入居していた介護老人ホームを 訪れました。父はベッドの上で歌い始めたそうです。

「人の世の若き生命のあさぼらけ 学院の鐘は響きて われひとの胸うつところ
 白金の丘に根深く 記念樹の立てるをみよや 緑葉は香ひあふれて 青年の思ひを伝ふ」

 父は当時90歳、昨日のことは覚えていなくても、校歌は覚えていました。
祖父から孫への校歌の歌唱指導?でした。
 父は1943年、明治学院専門学校在学中に学徒出陣となり、明治神宮外苑を行進しました。
そして1944年、戦争中に専門学校を繰り上げ卒業になりました。


 父は昭和の戦争中に学生時代を過ごしました。
私は昭和の平和な時代に落語研究会で落語三昧の学生生活でした。
甥は平成時代にアメリカンフットボール三昧で過ごしました。

時代は常に変わっていきます。

「心せよ学びの友よ 新しき時代は待てり もろともに遠く望みて 
 おのがじし道を開かむ 霄あらば霄を窮めむ 壌あらば壌にも活きむ」

 2015年8月、父は92歳で亡くなりました。終戦後はサラリーマンとして働き、老後 は手品を趣味として楽しんでいました。
 私も卒業後のサラリーマン生活もあと数年、まもなく老後の人生になります。
 甥は、卒業してこれから社会人生活が始まります。

 人生は決して平坦な道ではありませんが、卒業生の皆さんも校歌を歌いながら新しい 時代を生きていきましょう。そして校歌を後輩へと歌い継いでいきましょう。

「ああ行け 戦へ 雄々しかれ 眼さめよ 起てよ畏るるなかれ」

校歌の思い出を一つ
1977年4月首都大学野球リーグの応援に川崎球場へ行きました。相手は原辰徳君が 入学した東海大学、ラッキーセブンの校歌斉唱、歌い終わって応援団のリーダーが 「かっ飛ばせ!」と声を上げた時には東海大学の攻撃になっていました。
落語、寿限無風に言えば「あんまり校歌が長いんで、チェンジになっちゃった~」


1979年社会学部社会学科卒業 菊地克之