※前書き※
文中に出てくる戸塚キャンパスという単語、正確には横浜キャンパスとすべきですが、呼称の認知度の高さを鑑み、敢えて戸塚としております。
04経営学科の中村と申します。在学中は勉強をそっちのけでサークル活動に邁進していました。勉強の面では出来の悪い学生でしたが、学生時代の交友関係のご縁で、今も明学に関われているので結果的には良かったのかなと思います。
この記事をご覧になる方の中には、ご卒業されて30年以上経つ大先輩方も少なくないはずです。今回はそういった先輩方がご存じない明学の景色に触れ「おー、そうだったのか」と感じて頂ける事を目指します。
先輩方が在学されていた頃と私が在学していた頃の大きな違いとして、春のサークル勧誘が戸塚キャンパスで行われていた事が挙げられると思います。どの年からかは存じませんが、少なくとも平成12年以降は戸塚で行われていたようです。
山の中と言っても差し支えない立地にある戸塚キャンパスは、白金キャンパスと違いどこからでも大きな道に出られてすぐに駅に向かえるような構造ではありません。そして当時はまだ、戸塚駅から校舎の裏門に直行するバスがなかったため、大半の生徒が正門を使っていました。加えて新一年生が最初に受けるガイダンスは、戸塚キャンパスの一番奥に構える大ホールで行われていたので、ガイダンス終了後には全ての一年生が遠望橋を渡って正門に向かいます。そんな恰好のチャンスを逃すまいと、正門までのルートの左右に各サークルがずらりとブースを設け新入部員を増やすべく熱心に勧誘を行った訳です。
大ホールから遠望橋を通って食堂の前まではほぼ真っ直ぐな一本道で、そこの左右を長机と大人数の生徒が埋め尽くす様は大変壮観だったものです。地域色も強い戸塚祭りをも凌ぐ人出で、普段は白金で授業を受ける上級生もこの時期だけは戸塚に応援に来るため、一年で最も多くの生徒が戸塚に集まる一大イベントでした。
それぞれのブースに人数の上限が設けられていたり、通り過ぎようとする一年生の前を塞ぐような圧力的な声掛けは禁止になっていたりと、紳士協定みたいなルールは設けられていましたが、勝手わからず新生活への不安が大きいであろう一年生にとって、この熱気に満ちた勧誘合戦は楽しみ半分、恐怖感半分といった光景だったのではないか?とも思います。私にとってはこのサークル勧誘に沸く戸塚校舎の景色を見るたび「あー、新しい学年が始まったな」と春の訪れを感じたものでした。
当時は公認六者の時代で、六者に加盟するサークルは、どこよりも先んじて一年生に声掛けが出来る、勧誘する上で一番立地の良い遠望橋にブース構える権利が与えられていました。私は文連会所属のL.M.S.の主将を務めておりましたので、そういった辺りから自身の団体が公認である恩恵を当時も感じておりましたし、学年が上がる毎に狭い遠望橋で出会う友人や後輩の人数が増えていった事も大変楽しかったです。
「そっちは勧誘の調子どうだい?」
「いやー、全然ダメだねぇ」
と他団体の主将と立ち話をした遠望橋での時間は、今も忘れられない貴重な青春の一幕だったように思います。今から考えればそれは子供の戯れに過ぎないのですが、当時の私たちはそれぞれの団体の代表・顔役としての意識に満ち、沢山の後輩達に挨拶をされる立場でもあったため、多少なりとも天狗になっていたのでした。しかしそれも誰しもが出来る経験ではない訳で、井の中の蛙なりに自分が責任者なのだという自負に満ちた経験は社会人生活にも活かせているのではないか?と思います。
昨年はコロナの関係で遠望橋の勧誘は禁止となりましたが、今年は様々な制限を設けながら開催出来たと白金通信を通じて知りました。少しずつ日常が戻っている事を嬉しく思うとともに、自分の出身団体だけでなく現役の学生全体に対して自分に出来る事はないか?と危機感を募らせています。
来月、12月5日、私が広報委員をしております明治学院大学同窓会は現役学生向けに「キャリア応援イベント」という就活にフォーカスしたWEBセミナーを開催致します。21世紀で最大の疫病禍の中、それぞれの創意工夫が求められている時代に私たちが出来る事は何なのか、運営委員一同知恵を絞って準備をしているところです。少しでも現役学生の役に立てるよう祈ります。
04経済学部経営学科入学
明治学院大学同窓会 広報委員
中村 崇哉