秋まで盛んだった学園祭や文化展も盛りを過ぎましたが、学園祭で思い出すことがあります。
私は白金祭の実行委員会で会計を担当していました。「アルフィー」が出身大学ということで学園祭に自分たちから出てくれるというラッキーな年で、私が預かっていた通帳には、チケット代金を振り込むたくさんのお客さんの名前が何ページも記帳されていく日々。金額もみるみる膨らんで1000万円台に!その通帳を持ち歩いたり、銀行に記帳に行ったりしていて、「落としたらどうしよう」と思うと空恐ろしかったことを覚えています。
ところが「慣れ」とは恐ろしいもので、緊張も日々ゆるんでしまい、電車で網棚の上にカバンをのせたまま居眠りをしてしまいました!いい加減な私が持っていた通帳も、盗難されることなく無事コンサートは終わり、事務所側や器材費などに巨額な支払いを済ませても、嬉しいことに例年より残高が多かったのです。学園祭実行委員会のコピー機を購入できたり、数年にわたって滞っていた学園祭で演奏した曲の著作権協会への支払いを済ませたりすることができました。お金に関して、アルフィー様々の年だったのです。
私は横浜校舎1期生で、それこそ私たち1年生だけが全てがピカピカの戸塚校舎で、2年生以上の3学年は白金でした。部活動は応援団バトントワラー部でした。練習は先輩方が戸塚に来てくれるか、私たちが白金に移動しないと、全体練習はできませんでした。
品川⇔戸塚間の電車賃と、バスを利用したときは校舎⇔駅のバス代がかかったのです。節約と体育の運動習慣の課題達成を兼ねて、駅まで歩いた私にはブランドバッグは無縁でした。先輩など、周りのお嬢様風、お坊ちゃま風の人がブランドのバッグを、(まぁコピー商品の人も多かったとは思いますが、)持っているのをよく見かけました。
昭和に入学して平成元年に卒業したので、初めての平成時代卒業生です。卒業後のバブル時代は終バスでの帰宅が毎日で、やせるほどの激務でしたが、根をあげずにがんばり、正社員10年勤務しました。
学生時代には手の出なかった商品も買えるようにはなりました。でもブランドバックを買えなくても、白金と戸塚を往復しなければならなくとも、私の中でピカピカ輝いているのは、明学での学生時代なのです。
上町(かんまち)久美子(旧姓伊藤)(1989年 英文学科卒)